ますますわからない、複雑かつ繊細な福祉施設に迷い込んだ感じがした。
蜘蛛の巣のような福祉の網の目が、滋賀県内に張りめぐらされ、該当者は、どれかに引っかかるか、どこかに迷い込んでいたとしても、常に福祉の目に触れられているという、我々には見えにくい濃密なサービスに囲まれている印象を持った。
よく考えられ、構築されたシステムだと思う。
しかし、どんな施設であろうが、人に対しての愛情なくしては、できることではないだろう。
びわ湖ワークス。
建物は一つだが、その中に3つの事業所で構成されている。その中で一番、興味を抱いたのは、発達障害者自立支援プログラム普及事業(10名)といって、通称ジョブカレ(ジョブカレッヂの略)という事業所だ。
もう一つは就労継続支援B型作業所(19名)。さらに就労移行支援事業という3事業所だ。(6名)。
実は、グローが運営する能登川作業所やマイルド五個荘、そして今回のびわ湖ワークスの3つの事業所を東近江障害者通所施設群とよび、この地域ではひとくくりになっている。
ジョブカレという発達障がいの事業所だが、松田所長の説明を聞いて、ますます定義が複雑でわかりにくいことが分かった。
何がわかりにくいかというと、発達障がいのことである。発達障がい者の中でも、幾つかに分類されている。
松田所長も「ひと昔前だったら、変わった人だねと地域の中ですまされていたことも、ギスギスした世の中になってきたことで、そうした人たちに障害名を付けて、分けたのかもしれませんね」と苦笑いした。
「昔はおおらかな時代だったのかもしれません」という言葉が印象に残った。
変わった人は僕の周りにもいる。高機能自閉症は、知的障がいを持たない障がいであるらしいが、僕の友人にも思い当たる顔が浮かぶ
社会性がずれているという説明も受けたが、僕の友人も社会性がずれていると感じる人がいるが、それは個性だと今でも思っている。
う~む あの人、高機能自閉症かな……。
と疑うが、その繊細な一線は、精神障がい者の世界にも当てはまることがある。
精神障がい者は、中途障がいである。遺伝的要素はあったとしても、先天性のものではなく、病気という位置付けが大きな違いであるが、病気の種類が細分化されたことで、精神障がい者にあてはまってくる人もいる。
僕たちにとって、ますます理解しにくい構造になっていると感じた。
だからこそ、こうしたプロ集団が必要不可欠なのだと思う。
日常のジョブカレでは、現在、ブラインドの糸通しという細かい仕事をこなしている。
ジョブカレでは、障がいの特性をふまえた専門的な生活支援や就労のための準備支援などを行うところで、就職に向けた実習支援などを行っている。
B型作業所で働くより単価は高いが、過去に企業などで働いてきた経験をもっている人たちにとってはとても安い。そこを理解してもらうのが難しいと松田所長は言う。
彼らは、今まで一緒に勉強し、ともに働いてきた。大学も卒業し、就職をしてしばらく仕事は続いたが、どこかうまく周りと歯車が合わない。集団に混ざることができないなど、それに気づいた時、自分が自閉傾向にあることを、精神科医や周りから知らされる。
個人的に話をしている分には、なんら気づくこともないが、集団になると高機能自閉症はわかりやすかったりするという。
大人になって、障がい者という事実を本人が受け止めることの難しさは、彼らが一番わかっていることだろう。そこが知的障がいのない、障がいだからだ。
ここまで現場に立ち入ると、その領域の深さに、困惑する。障がい者の障がいって、何に対して、誰に対しての意味づけなのか。
「あ~僕にはわからない。」
社会の中で、少し違う人、変わった人が障がいなのか? きっと福祉業界の中でも、言葉の議論を何度もした結果が、今にあるのだろうと思う。
ジョブカレに登録している人たちの暮らしの拠点は、ドリームハイツというワンルームタイプのアパートを活用した宿泊型自立訓練施設にある。それもグローが運営している。
ジョブカレは定員10名だから、ドリームハイツにも10部屋が用意されている。
ドリームハイツの説明の中に、『宿泊型自立訓練』と説明書きがあったが、訓練?という文字に僕はやや疑問をもった。
なぜならば自閉症は訓練することで改善されていくことなのだろうかと思えたからだ。
訓練という言葉が、まさに自分たちの生活スタイルに近づけているという意味にも取れた。
そこを所長の松田さんに尋ねると、松田さんたちも、議論に議論を重ねた結果、訓練より支援という言葉の方が僕たちの方向性に近いでしょうねと応えた。
「その人が持っている力を最大限に引き出すために、訓練が必要ではなく、支えることが必要なんです」と。スタッフが障がい者とともに、羽ばたく日まで、滑走路を助走しているように聞こえた。
昼間の時間を見ていくだけでなく、暮らしの全体を見ていくことで、その人を、知ろうとしている。障がいや病気に向き合っているのではなく、その人自身に向き合っているのだということがよくわかった。
どの角度から人を見るかによって、ものの見え方や意見に違いが出てくる。
福祉に携わる人たちは、自分に問いかけながら、毎日を繰り返しているに違いない。
でもこうして感じたり、考えていく機会や場所が、世の中に少ないと思う。
ギスギスした時代によってサービスは充実したかもしれないが、ルーズに見守られてきた適当なさじ加減も羨ましく思うときだってある。
近所のおばちゃんが見守ってきた障がい者の存在に、プロの判断や技術が導入されることで、福祉は進化する。その共有の目が大切ではないかと思うのだ。
すれ違う場や接点がもっとたくさんあることで、互いに暮らしやすい社会ができていくように思う。そう、願いたい。
もう一つ、就労継続支援事業B型作業所が、びわ湖ワークスの建物の一階にある。19名が登録している。
びわ湖ワークスのB型作業所で思ったことだが、他のB型作業所に比べ、障がいレベルの高さを感じた。
そのことを質問すると、確かにその通りだという。食品を扱う、細かい分量を測るなど、技術的なことを要求される。それは、養護学校が、仕事内容を判断し、要望に答えられるような人を派遣するからだという。
今まで、B型作業所で働いている人たちは、企業から発注があった内職仕事を時間内に納品するということが約束であるが、ここでは、もちろん一般的な企業からの作業もこなしながら、それとは別に、うどんやクッキーなど自らの生産物もある。
そのうどんの麺は、びわ湖ワークスのもう一つの事業である就労移行支援事業の中の「いっぺき」といううどん屋さんに納品されていく。
就労移行支援の場である『いっぺき』では、ジョブカレからも、B型作業所からも、移行する人がいる。就職につなげていく、障がい者福祉施設から社会生活に一番近い場所にあるということだ。
『いっぺき』は、五個荘の近江商人屋敷の街並みの中にたたずんでいる。雰囲気のいい場所だ。
そこで午前中は、お弁当作り。午後からはうどん屋として仕事内容が変わる。
そのお弁当は、注文を受けて配達に回る。
その配達先は、グローの本部であったり、マイルド五個荘であったり、自社で自給自足のような繰り返しの印象を持ったが、一般に向けての数をこなすには、まだ課題があるという。
いっぺきの店長の中村秀幸さんは、もともと福祉畠の人ではなく、コックとして経験を積んだ人だった。
調理師免許を持っていることもあってか、いっぺきを任されるようになった。
調理師兼職業指導員という肩書きを持つ。
中村さんを始め、パートの人たちも、配達に間に合うように一生懸命働いていた。
作業所とは違って雰囲気は他より厳しい、ここは時間までに配達し、気を使う客商売。おちおち仕事はしていられない。
「この煮物は、人参が上になるようにしてね!彩りが大切なんだから!ご飯、ちょっと多いんじゃない?」
「はい、わかりました」
こんな具合に、厳しく言葉が飛び交っていた。
企業に直接出向いて働く人たちもいる。
倉庫の中で、いろいろな企業から届く商品の検品作業だ。こちらは言葉もなく、黙々と働く。
スタッフもともに作業に入る。
福祉の仕事といえども、実際の作業もメンバーの人たちと共にしなくてはならない。手厚い介護だけでない幅の広い仕事内容だ。
その中で面白い話を聞いた。
どうやって、仕事を見つけてくるのかという話題になった時、新聞の折り込みチラシにアンテナを張っているという。
募集があるということは、その仕事に人材が必要になっているということだから、その企業に電話をする。それが仕事の入り口になったりするという。そのスタッフの地道な努力に頭が下がる思いだ。
びわ湖ワークスという建物の中に、たくさんの役割が詰まっている。そして地域との連携も備わり、ここを卒業していく人たちを見届ける。
この建物の中だけでも福祉という蜘蛛の巣が張り巡っている。
今回は、高機能自閉症や発達障がいなど、一見判断しにくい障がいを持っている人たちの暮らしを垣間見たわけだが、僕たちが障がいの知識の幅を広めることで、彼らの暮らしの変化をもたらすだけではなく、僕たち自身の暮らしにも、変化があるのではないかと思っている。
知ることで、その存在の価値を高める。そして互いに豊かな社会につながってくると僕は信じている。