「オープンスペースれがーと」という大きな木造の建物の中では、いくつかの福祉事業が展開している。ちょっと覗いただけでは理解できないほど、それは細分化され、いろいろな人が混ざり合っている。食事も楽しめるそんな素敵な場所だ。
生まれたばかりの幼い子どもから、100歳ほどのお年寄り、そして障害を持っている人たちなどなど、人間社会の縮図が詰まっている感じがする。
その中の一つ、高齢者通所介護事業である「デイサービスセンターらく」がある。
ご近所のお年寄りが、朝から夕方まで過ごす場所だ。
僕は以前にもここに通っていたことがある。 そのとき思った印象と、今回久しぶりに訪れた印象に大きな違いはないが、スタッフの人たちが、お年寄りに気遣うきめ細やかさに毎回、惚れ惚れする。自分の親をここなら預けたいと思っている一人だ。
その惚れ惚れするスタッフの一人、米川まどかさん。もうここで8年になる。僕が以前から気になっていた介護士だった。
彼女の仕事スタンスを以前から見てきた印象だが、とにかく明るさと気遣いだけは絶やさない人だ。この人なら何でも話してしまいそうな安心感が常に漂っている。
彼女は言葉を巧みに操って、場の雰囲気を盛り上げるタイプの人ではない。ここに座って居るだけでその場が和む人なのだ。
冗談も言い合えるし、信頼感もそこから生まれる。
そういう姿を見ていると、介護の仕事がいかに奥の深いものなのか痛感する。
久しぶりに仕事を見させていただいたが、更なる磨きがかかったようで、その仕事っぷりに、もううなずくしかない。
『らく』のスタッフの特徴の中に、いつもゆとりのようなゆったり感が存在する。
忙しいスケジュールを日々こなしているが、お年寄りが滞在している時間は、向き合うだけの時間に徹底しているような感じがする。
だからここに来ていつも思うのが、「今、行きますから、ちょっと待ってください!」という福祉の現場でよく耳にする言葉が非常に少ないと感じる。
あえて使っていないということではないだろうが、ほとんどここでは聞いたことはない。
『らく』はお年寄りのいる場所。お年寄りが過ごしている空間。
スタッフの都合ではなく、お年寄りの都合に合わせた居場所なのだ。
建物も建築家・竹原義二氏の設計で、その空間づくりは、広々として明るい。もちろんそれだけではなく、そのよさに応えるように、らくのスタッフが建物に息を吹き込む。
奥の部屋から、ピアノのリズムとお年寄りの歌声が聞こえてきた。
ピアノの先生は林美紀先生。『らく』を立ち上げる頃から続けている大ベテランだ。
僕でも知っている演歌を何曲も唄い続けた。
「やっぱり歌が唄えるということは幸せなことやな~」と、あるおばあさんがつぶやいた。
林先生のピアノの音を、「らく」に関わったお年寄り全員が耳にし、歌を口ずさんだことだろう。そう考えるだけで、熱いものがこみ上げてきそうになる。
一人の男性が、歌詞を一生懸命、目で追いながら唄おうとする姿があった。
「認知症が少しずつ進んで、リズムに合わせて、文字を追えなくなってきたんでしょうね。本人も分かっているんだと思います」と、米川さんが僕の耳元でささやいた。
その言葉にやや寂しさを感じながらも、人生のわずかな通過点を線にしようと、スタッフは日々関わりを大切にしている。
愛おしい施設だ。
そのさらに奥の部屋に、認知症が進んだお年寄りたちの部屋がある。
この部屋は少し狭いが、家のようなアットホーム感がある。
光がさんさんと入り、暖かい。
台所がみなさんの目の前にあり、スタッフが昼ご飯を作りながら、会話が弾む。
今日あったことを忘れてしまったとしても、また明日、新しい思い出ができればいいのではないかって、僕は現場を見て思う。
しかし家族はそうじゃないのかもしれない。
家族とデイサービスの関わりの違いは、今まで議論され続けた課題かもしれないが、あくまでも「らく」は本人の居心地を大切にし、今を楽しんでいただくということに徹しているように思える。
僕は、それでいいんじゃないかなって、その年齢に近い親を持つ家族の一人としてそう感じている。
スタッフひとりひとりが、お年寄りに対し、長い間、ご苦労様でしたという尊敬の眼差しで向き合える思いが、「らく」の支えになっていると思う。
夕方、送迎車数台にお年寄りとスタッフが分乗し、それぞれの家路に戻って行った。
玄関先で、見えなくなるまで手を降り続ける。また明日、お元気で逢いましょう!