GLOWが運営する養護老人ホームの一つ『ながはま』にお邪魔した。
ながはまには、現在88名のお年寄りが共同生活をしている。
中に入ると、とにかく長い廊下が印象的だった。その距離なんと110mもある。行ったり来たりするお年寄りの姿が一目瞭然で見渡せた。
毎日三食の食事と、10時と3時に出るおやつの時間を入れると、食堂まで5回も行き来する。
端に部屋がある人は、それだけで1キロくらいはウォーキングすることになる。
腹が減ったら仕方なく、食堂へ行くしかないのだ。自然体のいい運動だ。
ながはまには、お年寄りが通うデイサービス『とよしま』が併設され、朝や送迎の時間になると、人の出入りがあり、わさわさと慌ただしくなる。現在1日あたり10名の方々が利用されている。
「兄さん、どっかで見た顔やな?写真を撮りに来たの?」
よりあいのような家族的な光景は、小規模ならでは。
利用者さんとは、友達のように接しているスタッフに見えるが、実は気配りを常にしていた。
家庭のような雰囲気を醸し出しているが、家族ではない。その距離感を保つのはさすがプロの仕事だ。
所長の上野康子さんが、丁寧に施設の案内をしてくださった。
「笑いと温もりのある生活の場を提供します。というのが、ながはまのスローガンなんです。
地域の人たちが話題にしている老人ホームの認識は、近くにある特別養護老人ホームがほとんどです。私たち養護老人ホームも、頑張らなきゃいけないですね!
もっと地域に根ざした施設をアピールしていくことがこれからの課題です」と切り出した。
しかし地域の人たちが、一般的な特別養護老人ホームとながはまのような養護老人ホームの違いを理解した上で、話題にしているのだろうか、そこは取材を重ねるたびに疑問に思うことだ。
『老人ホーム』という一つの共通言語で施設を一本化して考えている人が多いように思える。
僕も最近までその違いがよくわからなかった一人だ。
近日オープンする老人ホームなどの宣伝などは、特別養護老人ホームがほとんどだ。いわゆる『特養』と呼ばれる施設のことだ。養護老人ホームの宣伝広告など見たことはない。
養護老人ホーム ながはまは、身体的理由だけではなく、社会的に養護しなくてはならない人たちが暮らす施設だ。それは精神的や、経済的理由など受け入れるための範囲はとても広い。
家庭環境などの理由で自宅に暮らすことができない自立した高齢者を受け入れるが、特養と大きく違うのは、介護保険で入所するのではなく、市町村の措置であるということだ。
一般人には馴染みのない言葉が並んでいるが、措置という言葉を聞くと、何かしらの事情を抱えて暮らしているんだなというくらいは想像できるだろう。
そんな理由を教えていただくと、施設のアピールや宣伝する難しさが壁になるのも理解できる。
家族との関係もうまくいかない方々が暮らしているそうだが、ながはまには、家族会というものが存在する。
もともと離れて暮らした方が良いと言われた家族も、家族会に参加することで、少しづつ改善に向けて歩むことがあるという。上野所長は、
「家族との距離をあけることによって、改善することも多々あるんです。中には、よりを戻す家族だってあるんですよ」と語った。
家族と利用者の仲介役でもある養護老人ホームは、お年寄りを養護するだけにとどまらず、関係改善への糸口を見つけ出す大きな役目も持っていた。
とは言っても、高齢化とともに家族会の参加率も悪くなっているのは現実だ。 面会に来てくれない家族を待ち続け、不安を抱えているお年寄りも多いことだろう。
少し前までは、「姨捨山」とか「捕えられた」など養護老人ホームのイメージする表現がそのように語られていたという。
デイサービス『とよしま』に人が出入りするようになってから、悪い印象が少なくなってきた。
ここに暮らすお年寄りに声をかけてみた。
「私は16年も暮らしているわ。50年以上の人もおるって聞いとるよ。
一人部屋になって快適になったけど、二人部屋の良さもあったな。当時、16歳も年上の人と同室やったが、洗濯をしてやったり、掃除もしてあげた。でもそういう世話は、普通に家でやってきたことやからな。だからそれはそれでよかったんや」
なんと104歳と105歳の明治生まれの長老が暮らしている。出された食事をエネルギッシュにガツガツと口に運ぶ。
「おいしいですか」と尋ねると、
「うん!」と、歯切れのいい大きな返事が返ってきた。その度に周囲が笑いに包まれた。
所長の上野さんは、平成26年から地域に向け、新たな発信を試みた。
それは仕事の拡大ではなく、知ってもらうことの思いが何より最優先したことだろう。
その発信の一つが、「仕事にきゃんせ」という社会貢献事業だ。
「(こっちに)きんさい」が、さらに鈍った「きゃんせ」。仕事においでという意味になるそうだ。
地域に暮らす若年認知症の方々が、社会とのつながりを保っていく場所の一つ。現在は車のシートにマグネットを取り付ける作業を、近所の工場から請け負っている。
可能な限り働くことができる就労の場であったり、次第に少なくなっていく交流の場を提供しようとしているのだ。
「本当ならば、この長浜市にも大勢の若年認知症の人たちがいらっしゃるはずですが、まだまだ声高に言えない社会なんですね。家族で隠そうとしているのがわかるんです。
地域包括などと連携していても実際のところ数字は把握できていません」
現在は、ケアマネジャーとの連携で繋がった女性が『きゃんせ』に通う。
「引退されたご主人が付き添ってくれていますが、ここを利用することで、家族にも休憩していただきたいと考えています。
若年認知症だけに特化するのではなく、保健所に相談してみたところ、引きこもりの若い人たちにも来てもらえるようになりました。
現在若年認知症の方は3名ですが、この運営、何も利用料をいただいていないんです。県からの補助を少しいただいている程度です」
交流スペースがあるというだけでなく、スタッフの優しさが軸になって生まれた試みだと感じた。
さらにこども食堂を月に一度行ったり、地域の人たちに有効活用してもらおうと場所を提供したり、今までなかった人の出入りを実現させた。
建物の中に風が吹いているというだけで、次の何かが生まれようとする。
理解しようとしない社会の歴史が長かった分だけ、実現化することは容易ではないだろうが、動かすというエネルギーがあることで、錆び付いた滑車が回り出すことだってありうる。
事実や現実を知った人たちは、「なんだ!そんなこと?」とあっけらかんと受け入れるかもしれない。しかしそのきっかけを作ってくれるスタッフの力量は福祉業界をいい方向に変えようとしているのだと思うのだ。
ながはまの目指しているところは、素敵な養護老人ホームを作るのではなく、公民館のような居場所を作ろうとしているのではないだろうか。
子どもがいて、お年寄りがいて、食べ物があって、それを作る人がいて、怒られ泣きベソをかく子どもがいる。
そのためにまず出入りしていただき、知ってもらう。何度も上野所長が繰り返した言葉だった。