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ひとりひとりの個性が引き立つ場所〜新空間きぬがさより〜

 養護老人ホームの印象が、僕の中でガラリと変わった。

 木漏れ日が施設内に燦々と差し込み、どこをとっても明るく暖かい印象がした。

 新しくできた養護老人ホームきぬがさだ。

 ロの字型の総二階で、中庭がとても広くしかも全室が個室だ。近くに買い物ができるスーパーもあり、生活には何ら支障はない場所だ。

 養護老人ホームの僕の印象は、アットホームではあるが、狭い部屋に暗い廊下。カーテンだけで間仕切りされた二人部屋では、互いに気を遣いながらテレビのボリュームを調整する。そして立地条件も人里離れた場所が多い。

 昭和の時代を感じる古い施設は好きだが、新設された施設を見ると、やっぱり新しいのはいいなって思う。

 きぬがさ(東近江市)は、養護老人ホーム安土荘(安土町)とさつき荘(日野町)が合併してできた大型施設だ。

たくさんの人たちが一気に食事をするのではなく、ここでは幾つかのブロックに分かれて食事をとる。スタッフの仕事量は増えるが、何が最優先なのか、施設の考え方が見えてくる時間帯だ。

 僕は以前、どちらの施設にも取材でお邪魔したことがあるから、お逢いしたことのある顔が勢ぞろいした感じだった。

 特に自分のようなカメラを持った珍客は、顔で覚えられるより、カメラをぶら下げた風貌で思い出されることが多い。

 久々に再会すると、「あの時のカメラマンの方?」「久しぶりだね、変わっとらんな」「写真を撮ってもらってこの前は嬉しかったよ!」などなど、話題を考えなくても、みんなが会話のきっかけをつくってくれる。

 そういった雰囲気を作っているのは、利用者さんの個性だけでなく、職員の日頃の向き合い方や声のかけ方ひとつが、かなり場づくりを形成していると思うのだ。

どんな事情でこの施設と繋がったのかはわからないが、この空間で暮らすことが今は幸せ!という人が多い。そして昔の話になると、どの人も悪い気がしないのだろう。みんな目が輝き始める。

 所長代理の前田さんは、福祉の業界で40年弱勤めている。利用者さんたちの生活環境の転換期を常に見てきた人でもある。

 8畳間に6人の入居者、次が4人部屋、その次は2人部屋、そして現在、1人部屋が制度に盛り込まれた。

 「安土荘とさつき荘が合併して大きな施設になりましたが、それぞれのやり方を持ち込むのではなく、全く新しい施設として前向きに取り組んでいこうと思っているのです。

 確かに全室が個室になって、勝手が変わりました。隣人の調子が悪くなったら、誰かが助けに入ってくれていたのが、今ではナースコールです。あっちこっちからコールが響きますからね。個室空間という死角が増えるほど、目配りや声かけが重要になってくると思います。まだ試行錯誤の段階ですが、スタッフは忙しくなりましたよ。

 でも、私も昭和の雰囲気を持った家族のような施設って、嫌いじゃないですけど」と笑った。

スタッフの方々の動きを見ていると、ただその場を楽しんで過ごすということだけではなく、お年寄りの動きや言動を常に観察している。
『お年寄りの変化』は、人間関係の中から見えてくることであり、教科書のようなテキストに当てはまらないことばかりだろう。

 利用者は130名。ほぼ満床。

 制度として、65歳以上のお年寄りが利用しているが、生活困難と判断された60歳以上の高齢者も入居できる特例措置があるそうだ。

 お年寄りが、何件も予約待機している特別養護老人ホームは、要介護認定が3以上でないと入居できない。

 きぬがさのような養護老人ホームは、身体的、精神的、経済的家庭環境を各市町村の判断で措置入所を促せる。もちろん本人の意思が最優先されるが、要介護認定は必要ない。

 だから養護老人ホームには、元気なお年寄りが多いわけだ。そのお年寄りの姿を見ていると、福祉という仕事の幅の広さに、気付かされることが多い。

 福祉とは、知的障がいや、身体介護のイメージが強いが、それだけの枠に収まり切らない人たちが大勢いる。

 この時代を共に生きようとするすべての人たちが、平等に暮らしていける権利を尊重するために『福祉』という手助けが窓口になって、どこで暮らしていくことがこの人にとって最適なのか、今ある最大限の制度を生かしながら、判断してくれる業界なのだ。

 元気な人が福祉施設で暮らしているという一般人の疑問は、こうしたことがもっと知られることで、導かれていくことではないだろうか。

場を盛り上げることは、施設スタッフの個性の一つだと思う。
ある時は漫才師のように、ある時は司会者のように。時には歌手になったり。
恥ずかしがってはならぬ、幅の広い仕事だ。

 きぬがさで暮らす人の多くは、行き場がない人たちである。

 経済的理由や虐待など、地域で暮らすことが困難な人たちだ。

 最長で30年間暮らしている人もいる。ここは故郷でもなく、スタッフや同居している人は家族ではない。しかし暮らしの場だ。

 どんな思いでその人がここで暮らし続けているのか、その個人個人の思いをスタッフと常に共有していくことは、福祉業界の最も大切なことのような気がする。たとえ仮の宿という認識であっても、人の幸せに仮はない。

 しかし終のすみかであることはわかっている。

 ここが合併する前に取材した、安土荘とさつき荘から、退所した方々がいるという。

 どこに引っ越していったか気になり、前田所長代理に伺うと、「残念ながらそのほとんどが、お亡くなりになられています。虐待があった家庭に帰られた人は、虐待をしていた人がいなくなったというだけの理由です。あとは次の施設入所です」

 悲しいがそれが現実であろう。少し業界は違うが重なる言葉がある。長く精神科病棟に入院している人が退院するという専門用語の中に、「死亡退院」という言葉がある。その言葉の重みを感じながらも、ここが最後の砦でないことを思いたい。

 なぜなら、楽しいおっちゃんやおばちゃんの笑顔がたまらなくいいからである。地域に出て、もうひと花咲かせてあげたい気にもなる。

 きっといろいろな事情を背負った人たちばかりであろう。地域に迷惑をかけてきた人も中にはいるだろう。そうではなく、周りの環境があまりによくなかった人もいるだろう。

 様々な思いを背負って、みんながここで寄り添って暮らしている。

「立派なヒゲですね」「ははは、そうですか?」廊下の片隅に座り、中庭を見ていた。
「昔は、いろいろな仕事をしていたよ。もう今はゆっくりになったけどな」
一人一人の人生観を聞いていったら、きっと魅力ある人たちばかりなのだろう。

 夫の遺影を飾る笑顔の素敵なおばあさんは、僕を見るたびに笑ってくれる。

 「主人は、交通事故で病院に運ばれたらすでに末期の癌だったのよ。それで死んでしまってね。

 主人は肉屋、私は魚屋。北九州の戸畑の海沿いで育ったから、魚をさばくのは一級品よ!

 すぐに刺身にでもできるわ!

 辛いこともたくさんあったけど、考えたって、しゃーないやん!私アホやからな。

 でも7人も子どもを産んだんや。頑張ったやろ!」と大笑いした。

 「ここは、新しくなっていいわ。個室になったから気をつかわんでいいもん。でも部屋にこもりっきりになってしまうな。声も出さんようになってしまうし。

 一つが良ければ、何かが悪い。人は贅沢を求め始めるとキリがなくなるな。だからどっちもそれなりにいいんだよ」

 人はその環境に同化していく。あっちもよければこっちもいい。たくさんの思いを学んできたからこそ、今の施設の形に行き着いたはずだ。きっとまだまだ進化していくであろう。

 ただ人との関わりは、昔から変わらないはずである。

 これからのきぬがさに期待を寄せたい。

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