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子どもらしさの中の自立する決心〜大西暢夫の写真と言葉で綴るGLOW〜

運動場に整列した信楽学園の子供たちが、大きな声で挨拶をしてくれた。僕も彼らと逢うのは初めてだ。

これから信楽学園の恒例となっている夏の登山に二泊三日で出かける。この登山のために、子供たちは、日々訓練を重ねてきた。

思春期である彼らを前に、僕をどう受け入れてくれるのかが不安だったが、それほど心配することではなかった。

彼らの視線は、柔らかく、僕の目を見て話を聞いている。むしろ親しみやすさを感じたのだ。

今年の登山は、鳥取県の大山(だいせん)。

しかしあいにくの雨模様だ。

現地に到着し、先生たちが一人一人の体温を測っている。なぜ体温を測るのだろうかと、僕には不思議な光景に見えたので、先生に尋ねてみた。

「少しでも熱があると、大変な子もいるんですよ!」と先生が応えてくれた。

それが、彼らの持っている『障害』を初めて感じた瞬間だった。

体温計を先生が渡し、各自で測る。彼らのもつ『障害』を感じるのは、結局この場面しかなかったが、それさえ知らなければ、まったく普通のいい青年である。

その場面に出会わなければ、障害者という言葉を感じさせないくらい、彼らはいたって普通の子供たちだ。

むしろ、その知識を持たないまま、彼らと接している方が、居心地がよく、自分が普通でいられると思った。

火を起こし、ご飯を炊き、ワイワイガヤガヤ。

 

懐かしいと思いながら、自身の気分も高揚する。

「大西さん!肉、焼けたよ!」

彼らに大人っぽさを感じる場面もあるが、野菜を切ったり、火を起こすのに時間がかかったりする表情は子供らしい。

女の子たちもキャッキャっと黄色い歓声をあげていて楽しそうだ。

肉、野菜を切り、火を起こし、洗い物をする。
こうした時に集団でできる子、できない子という区別が教育ではつきものだろうが、信楽学園はそういう見方より、むしろそれを個性と見ているようだった。

雨降りの夜、テントの中で、僕は3人の男の子と一緒になった。

「将来、何の仕事がしたい?」

「うん、農家になりたい。花を作るのも好きだし、以前、パセリをプランターで作って、給食に使ってもらったんだよ!」

「優しいんだね」

というと、少し、はにかんでいた。

結局、登山は雨のため中止。翌日、信楽に引き返すことになった。

「この二人、双子なんだよ。そっくりだろ!ほとんどしゃべらないんだけどさー」
「三人は仲がいいの?」
「もちろん、野球をしたりさ!」
と言いながら、雨が降っているというのに、テントを飛び出していった。

信楽学園は、信楽の街から少し離れた集落の一角にある。

創立は1952年。15歳から18歳の青年が、寮生活を営みながら、職業的自立を目的として作られた。グループホームの先駆けになったことでも知られている。

職業的自立。難しそうな言葉だが、つまり、この子たちが2年生になると、職場実習と言って、近隣の会社や工場などで働く。

月に3万円前後をその企業からいただく。そのお金の管理は学園がするが、使い道には驚いた。 自分たちが行きたいところを話し合い、1泊2日の修学旅行に出掛ける。そして、社会人になった時のスーツなども買うという。

卒業するほとんどの子供たちは、学園の寮生活からグループホームなどで暮らしを始めることになる。

親元に帰りたいと願う子が多いが、家庭の事情などで、それが叶わない子供たちがほとんどだ。愛おしいと思うが、これが彼らの現実だ。

強く生きて欲しいと、願いながらも、この現実の背景を噛み締めながら、自立できる子供を育てようとする学園の先生たちの厳しくも優しい心がたまらなく嬉しくなる。

彼らが稼いだお金は、今後、暮らしに必要な道具を買うために、今、貯めておかなくてはならない。

 

親が支払ってくれた生活費を当たり前だと思っていた自分が情けなくなった。

その当たり前が、彼らの暮らしにはない。自分でやらなくてはならないのだ。

「自立」

それが彼らの今やるべき学習なのだ。

真剣に仕事と向き合っている姿が印象的だ。
「将来は窯業の仕事に就きたい?」って聞くと、ほとんどの子は違う道を考えている。
しかしその言葉の中に、自分で生計を立てていきたいという意気込みを感じる。
大人っぽく感じた瞬間だった。

毎週末は自宅に帰る子が多い。しかしある程度、家族との距離を保ちながら暮らすことの方が、良い場合だってある。

そんな難しい話、彼らの年齢でわかるわけがないと思っていたが、そうではない。よくわかっている。

彼らも信楽学園で学んでいく決心をつけただろうし、先生方にも感謝を持って接していると思った。

その状況の子供たちが放つ、たった一つの仕草でも可愛くて、愛おしくなった。

自分の努力で生き抜いていくために、考え、働くこと。信楽学園の影で支える力がとても大切だと痛感した。たとえその考え方や、やり方が古さを帯びていたとしても、信楽学園の行っている重要性は、変わることはないだろう。

毎年、子供達を世に送り出す先生方の気持ちは、とても感慨深いものだ。

信楽学園を卒業し、会社に勤めている『先輩』の様子を学園長の後藤富夫先生と見学に行った。

その彼は、解体されたコピー機などを細かく分別する、大変忙しそうな部署で仕事をしていた。しかも、そこを任される存在になり、他の人に指示を出す。全力で仕事をしていた。

でも声をかけると、爽やかに、「楽しいですよ!この仕事が合っていると思います」と、汗をぬぐいながら、幸せいっぱいの表情を見せてくれた。

嬉しくて、楽しくて仕事しているようだった。少し興奮気味だったのかもしれないが、その場を任されるプライドがみなぎっていた。約5年間は学園としても気に留めてたまに見に行くというが、ほとんど大丈夫なんですと、学園長の後藤先生が言う。まさに社会に揉まれて育つことの大切さを学んだ。

就職して5年目までは、各企業に先生たちも時々顔を出すようにしているが、その確認が本当に必要なときはないと、後藤先生が自信をもって言う。

しかし、就職実習や就労を支える先生たちの苦労は、この不景気の中で、とても大変なことだろう。

しかも実習の子供たちに、ボランティアではなく、お給料を出して欲しいとお願いしなくてはならない。

先生こそ、社会のつながりや、企業間でのやり取りにアンテナを張っていなくては、信楽学園の営業活動も門前払いを食らうであろう。

先生たちにとっても油断できない仕組みだ。

学園の1年生は、園内で窯業を主に働くことの楽しさを学んでいる。

中でも伝統的なものは、『汽車土瓶』

国鉄米原の駅で売っていたもので、各工程を仕分けしながら作り続けている。

売り物としての汽車土瓶は、当然、子供達の厳しいチェックを経て完成に至っている。

信楽学園の伝統、『汽車土瓶』。良品かそうでないかを彼らは瞬時に見分ける。

先輩の一人一人が世に出て行く姿を見ながら、働いて行くことの意欲を身につける1年生。

今日も、先生と一緒に社会に向け助走する。

障害があろうがなかろうが、社会の中に混ざって行く彼らを、見届け見守っていきたいと思った。

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